日々の雑想ブログ -生死観・信心など-

これまでの振り返りや、日々の所感をつづりたいと思います。

信心について

そこまでは分かりましたが、次に分からなくなったのが「信心」についてでした。
阿弥陀仏は念仏をとなえるものを救う」だけならとてもシンプルです。しかし同時に「信心をえて」とも教えられます。
これは蓮如上人のお言葉ですが、「ただ口に南無阿弥陀仏と称うれば助かるように皆人の思えり。それは覚束なきことなり」や「この信心を獲得せずば極楽に往生せず」など「信心が大切」というお言葉は数多くあります。
それで親鸞会では「念仏をとなえて救われるのではない。信心で救われるのだ」と教えられてきたのです。
しかし、阿弥陀仏の本願はあくまで、「念仏をとなえるものを救う」であると。
かなり分からなくなりました。
「結局念仏となえているだけではダメなのか?」「他に条件があるのではないか?」「信心をえなけば結局念仏をとなえていても救われないのでは?」「じゃあどうしたら信心をえることができるのだ?」「そもそも信心とは何なのだ?」など次々と疑問が湧きあがり、聞けば聞くほど分からなくなっていきました。