日々の雑想ブログ -生死観・信心など-

これまでの振り返りや、日々の所感をつづりたいと思います。

聞法グループの紹介

11月も終わりにさしかかり、今年も残すところ1ヶ月あまりとなりました。

1年と言ってもあっという間に感じます。

こんな調子で5年、10年と過ぎてゆき、気が付けば後生は目の前となるのでしょうね。

いえ、5年、10年先の話ではないですね。今この心臓が止まれば、今から後生となります。

私のいのちには何の保証もないのですから、後生は今の問題ですね。

私が仏法を聞きたいと思ったのは、後生という誰もが直面する問題について教えられていると感じたからでした。

親鸞会で話を聞いていたのも、それが理由になります。

残念ながら、親鸞会の教えでは、後生の問題という入り口はあっても、その解決という出口は見つからず、延々と求め続ける形であったと今にして思います。

その経緯については、これまでのブログで述べてきました。

そんな中、久保龍雲先生、光雲先生とご縁があり、改めて教えを聞かせて頂くことができ、お念仏にあわせて頂くことができました。

これ以上の喜びはなく、先生方、そして阿弥陀様のご恩には感謝しても仕切れるものではありません。

南無阿弥陀仏

と言いつつ、仕事や日々の雑用など、世間事や、自分の欲を満たすことにほとんどの時間を費やしてしまっている現状なのですが…。

そんな中でも、私も聞法グループの一員に入れて頂き、ご法話のご縁にあわせて頂いています。

煩悩具足の私は、すぐに欲や怒りなど、どこへ飛んでいくか分からない凧のようなものです。蓮如上人は私はザルのようなもの。法を聞いてもすぐに流れてしまう。だからザルを水に浸けるようにと言われました。凡夫だからと忘れがちを誇る訳ではありませんが、こんな自分だからこそ、ご縁は何より大切だと感じています。

このブログをみられる方は、どんな方々か分かりませんが、後生や信心、仏法の教えにについて何らか関心や悩みがある方なのではと考えています。

今回グループを紹介させて頂きますので、どなたかでもご縁があればと思わずにおれません。振り返ると1年間で本当にいろいろな宝物を頂いたのだなあと感じます。

お一人でも一緒に聞かせて頂けると嬉しいですね。

南無阿弥陀仏

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実感・安心感について

先日、ご法話のご縁で、同行方とお話をしていた時にふと思いついたことです。
「救われたという実感がない」「安心感がない」ということについて。

私は毎日いろいろなことを考えて生きています。
それを軸に生きているとも言えるかもしれないですね。

しかし、こと阿弥陀様の救いに関して言えば、私の思いというものは、まるで空気や水のようなものだなーと感じました。
空気や水で、がんばって壁や階段を作ろうとしても、すぐに流れて散ってしまいます。
どれだけ一生懸命積み上げても、それを足場に天井に到達することはできません。
私にどれだけ実感が持てたとしても、安心感が生じたとしても、その上にご信心があるのではない。
実感や安心感も空気のようなもので、あっという間に流れていってしまう。
親鸞聖人は「心を弘誓の仏地にたてて」と仰っておられます。
今、私の口から出て下さる南無阿弥陀仏以外に救いはないのですね。
逆に言えば、私に実感がないことも、安心感がないことも、空気や水で光や雨風を遮ることができないように、阿弥陀様の救いの妨げにはならないのですね。
無碍の光明、無碍の一道という言葉が思い浮かびました。

ああ、そういえば親鸞会で言われ、がんばっていた聴聞も諸善も同じでしたね。みな空気のようなもの。それを石垣のように積み上げて到達できると考えていました。
横の線などないのですね。今、目の前に縦の線(お念仏)がある。それを頂くだけですね。
二河白道の譬えならば、白道(求道)を進んだ先に無碍の大道が広がるのではない。今が三定死であり、欲怒りの逆巻く目の前に白道(ご信心)があるのですね。

とりとめない文章ですが、思いつくまま書かせて頂きました。
もう少し分かりやすく書ければよいのですが…。

南無阿弥陀仏

法蔵菩薩さまのご苦労②

はるか昔、法蔵菩薩さまが、苦しみ悩んでいる私を助けてやりたいと願いを述べられた時、世自在王仏はさきのように仰られたとのことです。
なぜ世自在王仏は「それには大海(分かりやすく合宿では琵琶湖とたとえられました)の水を汲み干すような努力が必要だ」と仰られたのか。
それは紛れもなく、私が日々琵琶湖の水のような途方もない罪悪を造り続けているからに他なりません。


「命あるものはすべてみな、これまで何度となく生まれ変わり死に変わりしてきた中で
 父母であり兄弟・姉妹であったのです」(歎異抄5章の現代語訳)

親鸞聖人は、一切の生きるものは私にとって、かつて父母であり兄弟であったものだと仰ります。
そのお言葉をお聞きしたことはありましたが、自分の周りの友人や、飼っている犬など近しい存在のことと理解していました。
しかし、実際は私が普段口にしている鳥や牛や豚、魚などすべてそういう存在ということだったのですね。

…かつての親や子の命を無自覚に奪って、美味しいとか、硬いとか、まずいなとか言っている。
仏さまからご覧になられた時、それはどんな恐ろしいものと映っているのでしょうか。
私にその1%でも自覚があり、改めようとする心があるのであれば、法蔵さまのご苦労もそこまで必要なかったでしょう。
琵琶湖の水以上の罪悪を造り続けながら、スプーン1杯ほどの自覚もない。それどころか、自分は無益な殺生をするものよりまだマシな部類だと善人のように思っている。
世自在王仏もあきれて当然ですね。
それら全て法蔵菩薩さまは見抜かれ、肩代わりしてくだされ、そんな私を助けるというお念仏として私に届いて下されている。

今の今のことと聞かせて頂きました。




南無阿弥陀仏

法蔵菩薩さまのご苦労①

7月の終わり、光雲先生のグループ(サンガ)の合宿に参加してきました。


合宿と言っても、堅苦しい、また厳しいものでは全然ありませんでした。
琵琶湖畔の宿で、お同行方と一緒にお話しを聞かせて頂き、また琵琶湖に浸かったり、BBQやスイカ割り、お酒を飲んだりしながら、自由に語り合うというものでした。
1日目の夜は桟敷の屋外ステージで歌も唄ったりして、とても楽しい時間もありました。
一方的に聴聞するというよりは、お互いに現在の心境について述べる部分が多く、まさに蓮如上人の仰る「信心の沙汰」が常になされていると感じました。
そのベースに「何を言っても大丈夫」と発言の安全が保障されているところが、本当に大切なことと思いました。煩悩一杯の私たちが集まって、それは自然にできるものではないですね。
光雲先生が特に苦労され、またサンガのメンバーが意識しあってこそできるものと思いました。

2泊3日でしたが、あっという間で、とてもありがたいご縁でした。


合宿中のご法話では、法蔵菩薩さまのご苦労について聞かせて頂きました。


「たとえばたったひとりで大きな海の水をコップで汲み取ろうとして
 果てしない時をかけてそれを続けるなら、
 ついには底まで汲み干して、海の底の珍しい宝物を手に入れることができるように
 人がまごころをこめて努め励み、さとりを求め続けるなら、
 必ずその目的を成しとげ、どのような願いでもみたされないことはないであろう。」


 これは大無量寿経で世自在王仏が法蔵菩薩さまに仰られたことの現代訳の引用です。
 お聞きして感じたことを、少し書かせて頂こうと思います。

 

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本證寺のご法座②

午後は宮田秀成先生から、聖人一流の章のお話でした。
宮田先生とは、親鸞会の学院でほぼ同時期を過ごしたというご縁がありました。また支部長という制度に変わった時、若手の支部長同士で情報交換のメールグループがあり、その中にも一緒に入らせて頂いていました。活動については、今は思うところが多くありますが、当時のことを振り返ると何とも懐かしく感じます。
また私がその後信心ということに悩んでいた時、メールで質問をさせて頂いたこともありました。
そのようなご縁があったため、ぜひもう一度お会いしたいと思っていました。
今回本證寺に参詣させて頂いたのも、それが大きな理由でした。

「聖人一流のおもむきは信心をもって本とせられ候」
親鸞聖人の教えは、「信心」ということが「本」であり「先」である。逆に言えばそれ以外のことは往生においては末であり後であり捨てものである。その信心ということについて教えて頂きましたが、信心とはお念仏に対する信心であるところが大切であると感じました。
親鸞会でも聖人一流の章はよく拝読され、信心ということが大切であると、よく教えられていました。
しかしそれは念仏で救われるのではなく、信心で救われるのだと、お念仏と信心を切り離したものであったと今にして思います。
言葉の表現が難しいですが、お念仏から離れてしまっては、「信心」も中身のない、単なる言葉になってしまいます。
「信心正因称名報恩」とは言われますが、お念仏を単なる救われた後のお礼の言葉程度に考えるのは大変な誤りと感じました。
お念仏は、阿弥陀仏が私に「ただ今救う」と私の口を通して呼びかけられているお言葉であり、私の往生においては、その勅命以外に何もない。それが信心と聞かせて頂きました。
往生においては、本当にそれ以外何もなく、他の要因を付けたそうとすることは、ただ妨げであり、蓮如上人は「振り捨てて」と仰っておられるのだと拝しました。

南無阿弥陀仏

本證寺のご法座①

4/21に安城にある本證寺の仏教を学ぶ会に参詣しました。三河一向一揆の拠点として、家康の大河ドラマでも登場した史跡でもあり、とても広く、立派なお寺でした。お恥ずかしいことですが、いわゆる「お寺」に参詣したのは、今回がはじめての体験でした。
午前は鈴木規夫先生のお話。
「念仏者は無碍の一道なり」の歎異抄のお言葉を通してでした。
信を頂いて、変わるところは、「外も内もすべて往生の障りとならない」という点一つであると聞かせて頂きました。
逆に言えばそれ以外は何ら変わりないということですね。
正信偈の「譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」について、存覚上人の「日月の雲・霧に覆はるれども、闇はれて雲・霧の下あきらかなるがごとく、貪愛・瞋憎の雲・霧に信心は覆はるれども、往生にさはりあるべからずとしるべし」の解釈も教えて頂きました。
煩悩は変わらないが、「往生の障りとはならない」ということを教えられたお言葉、ということなのですね。

親鸞会で聞いていた時は、この正信偈のお言葉について雲や霧があっても、その下は明るいように、煩悩は変わらないが「心は明るい」と理解していました。しかし解釈にはどこにも「心が明るくなる」とありませんし、正しくなかったと感じました。
また、阿弥陀仏の光明は無碍であるのに、私に見えないのは、光明に問題があるのではなく、私の目が見えないからとも教えて頂きました。これについても、信を頂くとは、その見えなかった目が開くことのように以前はイメージしていました。
生まれてこの方、ずっと目が見えなかった人が、パッと(一念で)開眼したら、それはハッキリするだろう。驚きもするし、見えたか見えないか寝とぼけたこと言うハズがない…と。
信を頂くとはそういうハッキリした体験とこれまで思っていました。また現在も親鸞会ではそのように教えられているかも知れません。そういう体験を求めておられる方もおられるかも知れません。
しかし、これは譬えの話ですが、煩悩によって目が見えない私は救われても目は見えないままなのですね。光明が見えるようになる訳ではない。
では心は真っ暗なままで何も分からないのか、と言えばそうでもない。「凡夫だから何も分からない、何も変わらないそのままよ」は十劫安心、無帰命安心とまた別の聞き誤りになります。
真っ暗で何も変わらないではないが、明るく変わる訳でもない。親鸞聖人が「暁(夜明けの前)」と表現されたお心が伝わってくる気がしました。


大切なことは、心の明るさの度合いは問題でないこと。心の明るさ、安心感などありようを信心に紐づけて問題にすることが問題なのだと感じました。それこそ往生の障りに自分でしてしまっている状態と思いました。
長くなってしまいました。午後のお話についての感想は、また次に書かせて頂きたいと思います。

南無阿弥陀仏

どうすれば救われるのか②

「どうすれば救われるのか?」それは、ちょうど阿弥陀仏の救いを鍵のかかった扉のように考えていたなと、最近ふと思いました。
その扉が開けば、大安心、大満足。南無阿弥陀仏の大功徳をまるもらいして、死ねば極楽参り間違いないという絶対の幸福になれると。しかしその扉には鍵がかかっていて、どうしても開けられない。その鍵を探すような心境であったな、と。

もちろんこれは私の勝手な譬えなのですが、今思うと、そんな鍵付きの扉など最初からありませんでした。
むしろ私が扉の鍵穴で、それを阿弥陀仏がずっと開けようとしておられたのですね。

私のために南無阿弥陀仏という鍵となって下さり、お念仏として届いて下されているのですね。私が鍵を開けようなんて、とんでもない。全てが真逆でありました。

鍵は今、すでに届いている。ここにおられる。目には見えませんが、耳で聞こえますね。それをお伝えしたいです。
阿弥陀仏は「念仏をとなえる者をすくう」と誓われていますが、これは「念仏をとなえたら救われる」というより、阿弥陀仏がお念仏として私のところに来てくださり、救ってくだされるという意味であると拝します。

南無阿弥陀仏