2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧
「妙好人のことば」(梯實圓師)という本を紹介頂いたので、Amazonで注文したら、本日届いていました。まだ一部ですが、とても読みやすい本でした。そして内容が本当に胸に刺さるといいますか、共感と言いますか、感じるところが多くありました。大和の清九…
数日して、龍雲先生にもメッセージで現在の心境について、お伝えしました。龍雲先生からは、他力信心は「仏願の生起本末を疑い無く聞ける」ということ、肩の力が抜けたところでどんどん聞いていけばよいこと、他の聞法仲間に伝えることを教えて頂きました。…
これが現在の心境です。正直言いますと、これが信心を頂いたことなのかどうかは私には分かりません。「上記思えたから信心をえた」と自分の思いや理解を信心の物差しには使えないのですから。龍雲先生に伝えて、「それは信心じゃないですよ」と否定されるの…
それからしばらくのち、ふと気づきました。これまで自分は「信心が分からない、分からない」と考えていましたが、自分の心に信心を求めていたのです。「分からない心」が「分かった!」となりたいとずっと思っていたのですね…。しかし自分の心をどれだけ掘り…
2月のある日、メッセンジャ-で(すれ違いの図・まだ救われていない、もう救われている)について感想を求められました。イラストについては、了承を頂き、添付させて頂きます。一つ目は阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏をとなえるものを極楽往生させ成仏させる」と…
そんな中でも龍雲先生は時々メッセンジャーで声をかけて下さりました。それで何とかご縁はつながっていたように思います。前章で述べたような思いについても、その中でお伝えし、やりとりをさせて頂きました。「ものを言え」と言われるが、自分の心をみると…
「念仏をとなえる」ということは口で「南無阿弥陀仏」と言えばよいのですから、私でもできます。しかし「信心をえる」となると、どうしたらよいか分かりません。 これまでは聴聞などを積み重ねていけば、いつか信心獲得できると聞いていましたので、「そのう…
そこまでは分かりましたが、次に分からなくなったのが「信心」についてでした。「阿弥陀仏は念仏をとなえるものを救う」だけならとてもシンプルです。しかし同時に「信心をえて」とも教えられます。これは蓮如上人のお言葉ですが、「ただ口に南無阿弥陀仏と…
メールで色々質問などさせて頂き、まず驚いたのは「阿弥陀仏の本願は念仏(南無阿弥陀仏)をとなえるものを救う」ということでした。 これまでは、「念仏をとなえて極楽に往けると教えているお寺は間違い」「信心で救われるというのが本当の親鸞聖人の教え」…