日々の雑想ブログ -生死観・信心など-

これまでの振り返りや、日々の所感をつづりたいと思います。

すれ違いの図

2月のある日、メッセンジャ-で(すれ違いの図・まだ救われていない、もう救われている)について感想を求められました。
イラストについては、了承を頂き、添付させて頂きます。
一つ目は阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏をとなえるものを極楽往生させ成仏させる」と仰っているのに、「喜びがない」「ハッキリした体験がない」「疑い心があると思う」という思いを根拠に自分は「救われていない」と判断しています。
(イラスト①)


二つ目は逆に「喜びがある」「ハッキリした体験がある」「疑い心がないと思う」という思いを根拠に「救われた」と判断しているイラストです。
(イラスト②)
これまでのワークで、自分の脳みそはあれこれ勝手に色々なことを思いつくものだと分かりました。
そんな勝手気ままな心を根拠に救われている、いないと考えていること自体が阿弥陀仏のお言葉を聞いていない、すれ違っている状態だと感じました。

イラスト①

イラスト②