日々の雑想ブログ -生死観・信心など-

これまでの振り返りや、日々の所感をつづりたいと思います。

これまでを振り返って

数日して、龍雲先生にもメッセージで現在の心境について、お伝えしました。
龍雲先生からは、他力信心は「仏願の生起本末を疑い無く聞ける」ということ、肩の力が抜けたところでどんどん聞いていけばよいこと、他の聞法仲間に伝えることを教えて頂きました。
また、これまでの聞法の道のりを振り返って文章にしてみることもすすめて頂きました。
そういう経緯があり、今回文章にさせて頂きました。


思いついたことを加えたりしている間に、このような長文になってしまいました。
読み返しますと、阿弥陀仏は私が生まれた時から、今お念仏をとなえさせて頂くまで、本当に色々な形で導いて下されたのだと感じます。
私には分かりませんが、実際は生まれる前からの話なのだろうなと思います。
そして今現在も「南無阿弥陀仏」と寄り添い給うて下されているのだと…。
私は欲や怒りやねたみなどで頭が一杯で、思い出したようにしかお念仏をとなえませんし、仏法、阿弥陀仏のことを思うことができません。うまく表現できませんが、そんなお粗末な私だからこそ、お目当てに呼び続けて下されているのだと今は思います。

振り返りは以上になりますが、今後は日々の生活において感じたことなどあれば、書くようにしたいと思っています。

南無阿弥陀仏