日々の雑想ブログ -生死観・信心など-

これまでの振り返りや、日々の所感をつづりたいと思います。

現在の心境

これが現在の心境です。
正直言いますと、これが信心を頂いたことなのかどうかは私には分かりません。
「上記思えたから信心をえた」と自分の思いや理解を信心の物差しには使えないのですから。
龍雲先生に伝えて、「それは信心じゃないですよ」と否定されるのが怖いというか、嫌だなあという気持ちもありました。
しかし一方、もしこれが信心でなかったとしても、この往生の問題は、私にはどうしようもないこととも思えました。
「あなた、まだ正しい信心じゃないよ」と言われても、だからと言って、私にできることは何もないのです。

かなり語弊のある乱暴な言い方かも知れませんが、私の往生の問題は阿弥陀仏のお仕事なのですから…。

私には手出しできない問題だったのです。

言葉通りただお念仏をとなえさせて頂く以外に本当にないのです。

南無阿弥陀仏

 

この心境で仏法を聞かせて頂くと、全然聴聞が辛く無くなりました。

これまでは、聴聞を、理解を深め、信心に近づくための手段のように考えていました。

受験勉強のような感覚で、義務感のようでもあり、だから辛かったのだと思います。

聞法が苦しかった時、「聞きたくない」という心と同時に「そんなことでは」という呵責もありました。それは「聞かないと救われない」(=「聞けば救われる」)という思いからだったと思います。

「勉強さぼってどうするんだ?」というような。
しかし「南無阿弥陀仏」という合格通知はもう頂いていたのです。

「合格する」ためには本当に何のしようもなかったのです。

ずっと「どうしたら」と思っていましたが。

もう終わった話(※これも語弊があったらすみません)だったのですね。
聴聞については、「お育て」という言葉が今の自分にはしっくりくる感じがします。

 

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏