日々の雑想ブログ -生死観・信心など-

これまでの振り返りや、日々の所感をつづりたいと思います。

信心獲得したいという焦り

「念仏をとなえる」ということは口で「南無阿弥陀仏」と言えばよいのですから、私でもできます。
しかし「信心をえる」となると、どうしたらよいか分かりません。

これまでは聴聞などを積み重ねていけば、いつか信心獲得できると聞いていましたので、「そのうち、そのうち」と心に猶予がありました。
それは間違いであったと分かりますが、どうすればよいか。行き詰まりを感じました。
「信心獲得することが大切」と聞くと、言葉は悪いですが、責められているような、半ば脅しのように感じるようになりました。
気持ちが焦り、聞くことがとても苦痛に感じるようになってしまいました。
どう頑張っても空など飛べないのに、「飛べ、飛べ」と言われているような気持ちでした。
もともと怠惰な性格ですし、仕事でも疲れ、精神的な余裕がなかったということもあったと思います。
気が滅入ってしまい、聞くことから徐々に離れていました。
聞いても分からないから聞きたくない、という思いと、このままではダメだという自責の念(これこそ大きなズレだったと今は思います)でモヤモヤした状態でいました。