日々の雑想ブログ -生死観・信心など-

これまでの振り返りや、日々の所感をつづりたいと思います。

どうすれば救われるのか①

桜がきれいに咲き、先日はりくと一緒に近くの山のふもとの公園に散歩と花見に出かけました。ちょうど天気も良く、気持ちの良い一日でした。それからわずか数日、桜はまだ咲いていますが、葉桜となりつつあり、小川には桜の花びらが無数に漂っています。喜びもつかの間。全て移り変わる。儚いこの世であることを周り中が教えてくれていると感じます。

「人間はただ、夢・幻の間のことなり。後生こそまことに永生の楽果なり」と蓮如上人が仰る通りと感じます。

それで私も、浄土真宗の教えを聞き始めたのですが、ではどうすれば永生の落果が得られるのか、求めても求まらず、悩んでいました。
詳しくは、このブログに書いていますので、興味があって読んでくださる方があれば嬉しく思います。
また今現在、そのように悩んでおられる方もおられるのではと思います。

そういう方に「こうすればいいよ」など言えないところが本当に申し訳なく思います。
ただ、「どうすれば」と悩んでいた自分を思い返すと、「自分が問題点を改めないから救われない」と考えていたと思います。
阿弥陀仏は「ただ今救う」と誓われているのに、なぜ救われないのか。それは自分の心が救いを拒否しているから? 素直に受け入れればいいだけなのに。どうすれば拒否しなくなるのか? …だんだん分からなくなり、そのうち阿弥陀仏に対して、怒りの心が噴き出す始末でした。