今日は、いつも親鸞聖人の教えを聞かせて頂いている久保光雲先生から、別離について話題があり、感じたことを書いてみようと思いました。
大谷選手が結婚されたとのことで、ニュースが持ち切りですが、別離について…。
「明るい話題がいいのに、縁起の悪い」と気分を悪くされる方がおられたら、すみません。
「会者定離 ありとはかねて聞きしかど きのう 今日とは思はざりしを」
親鸞聖人が35歳で、法然上人とお別れせねばならなかった時に詠まれたお歌と言われています。
会者定離とは仏教の言葉で、出逢ったものは、必ず別れの時がくるという意味です。
「会うは別れのはじめ」とも言われますね。
そして別れとは辛く、悲しいことです。大切な相手であるほどなおさらです。
これを仏教では「愛別離苦」と言われます。
愛するものと別離する苦しみ。
「そういう教えや考え」ということではなく事実を言われているだけです。
自分の人生を振り返っても、周囲をみても、別離の悲しみがあふれています。
私は昔から、死ぬことや人と別れることを、ことあるごとに意識していたように思います。
中島みゆきの「わかれうた」という曲があります。
「わかれはいつもついてくる 幸せのうしろをついてくる
それが私のくせなのか いつも目覚めればひとり」
という歌詞が好きというか、その通りだなあと感じていました。
そんな気持ちから、私は人間関係や物事に対して、常に一歩引いたような、冷めた目で見ることが多かったと思います。達観したつもりでいました。
深入りをしても、どうせ別れが来るのだから。辛い思いはしたくない。という感じです。
これは今の私の人格、性格を形成する上でかなり大きな要因になっていると自分で思います。