講師となり、人にえらそうに教えを説くようになったのですが、肝心の私の後生に関する問題は解決されないままでした。
浄土真宗では、この問題は、自分が修行などすることで、とても解決は不可能と教えられます。欲や怒りなど煩悩一杯の私には、修行などとてもできませんので。
ですから、それを仏方の王と言われる阿弥陀仏という仏さまの力に求めます。
いわゆる「他力本願」ということです。「他人まかせ」ということではないですね。
阿弥陀仏の本願の力によって、後生の一大事の解決をして頂くことを別の言い方で「信心決定」「信心獲得」とも言われます。
親鸞会では、阿弥陀仏の本願に救い取られ、信心決定すれば、死も障りにならない。大安心、大満足の身になれると繰り返し教えられました。
親鸞聖人の教えは「平生業成」であり、死んでからでない、生きている時に救われるとも教えられます。
そして、講師として有縁の方にそのようにも伝えていましたが、自分自身、全然そんな風にはなれませんでした。
周りにもそんな喜んでいる人もみられません。
聴聞をはじめて10年は経過しています。