日々の雑想ブログ -生死観・信心など-

これまでの振り返りや、日々の所感をつづりたいと思います。

二河白道の譬えについて

この度、ご縁があり、光雲先生、龍雲先生のサンガ(集まり)に参加させて頂きました。

琵琶湖の湖畔で、とても素敵なロケーションでした。犬を連れて来て良いということで、愛犬も連れて行きました。

3日間のうちの、私は2日目だけの部分参加で、短い時間でしたが、二河白道の譬えがテーマでした。

二河白道の譬えは、親鸞会でも聞いていましたが、その時は、「求道、聞法の心構え」とう意味合いで受け止めていました。求道(=親鸞会の活動)は辛いけど、世俗に戻っても何もないのだから、頑張って進んでいけ。そうすればいつか阿弥陀仏からの呼び声が聞こえ、細い百道が無碍の一道に広がる時がある。という感じです。
必ず直面する「死」という問題を考えた時、この世のことはすべて色あせてみえることは実感していましたので、このお話はとてもしっくりきましたし、頑張って進まなければ、と自分に言い聞かせたものでした。

 

しかし今回、三定死は先の話ではなく、今の私であり、その私に「はやくおいで。まもってあげましょう」と阿弥陀仏は呼びかけて下さっているのだと教えて頂きました。

私がとなえさせて頂いているお念仏は、その呼び声なのですね。遠い先に聞こえるものではなかったのです。
光雲先生は、「二河白道の譬えは『信の相』と教えられたもの」と言われたような気がしましたが、その表現がぴったりと思いました。
また今回、この二河白道の譬えを、ナレーション、旅人、盗賊など数人で分担して演じるということも経験しました。

そのようなことは初めてで、初対面の方も多かったので、かなり気恥ずかしい思いがありましたが、青と赤の座布団で水と火の河を再現したり、その役になり切って演じられる方もおられ、とても素晴らしい寸劇でした。
西岸にたどりついた旅人と、西岸の方が抱き合って喜ぶアドリブをされた方もおられました。笑いながら、「阿弥陀仏はお浄土にまいった方をお喜びになられない訳ないなあ…」と感じました。

そして、自分が参加し、声に出すことにより、単に読むだけとは全く実感が異なると分かりました。この二河白道は本当に単なるたとえ話や、おとぎ話ではなく、今現在、私の身の上に起きていること、と改めて感じました。
これは、実際に参加しないとなかなか分からない、貴重な経験でした。

二河白道の譬え

琵琶湖畔

愛犬りく



午後は湖岸を愛犬と散歩したり、サンガの参加者の方と色々お話をすることができ、とても充実した一日となりました。


南無阿弥陀仏